礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2026.2.15 主日礼拝 ヨハネ福音書講解㉙「命を受け、命を与える」友納靖史牧師【ヨハネによる福音書 10章1~21節】(新共同訳 新約P.186~187)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 エゼキエル書 34章11~12節 司式者
祈祷 司式者
賛美 教団讃美歌354番「飼い主わが主よ」
主の祈り
献金感謝
聖書 ヨハネによる福音書 10章1~21節
特別賛美 「ふかいやみより」
宣教 ヨハネ福音書講解㉙「命を受け、命を与える」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 新生496番「命のもとなる」
頌栄 新生669番「みさかえあれ(B)」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 「羊」を養う「羊飼い」。モーセや少年ダビデを筆頭に旧約時代からごく自然な風景ですが、日本人には馴染みの薄い光景です。羊の乳や肉、羊毛と羊皮紙など、どれも当時の生活必需品として人々は羊から、命を受け、命を繋いできました。聖書はその羊を他のどの動物よりも人間に近い存在として重ね合わせます。羊は群れて生活し、力弱く、守られ導かれながら日々を過ごすからです。その羊らを大切に養う「羊飼い」の存在の大きさを、詩編23篇のダビデの歌を筆頭に、預言者イザヤ(40:11)とエレミヤ(31:10)も、神の民を導く救い主・神ご自身の姿と重ねました。
「わたしは・ある」(エゴー・エイミー:I am)と、ご自身を神と等しい存在として開示された主イエス。より具体的なご自身の姿と働きを人々に語りかけました。「わたしは 『門』・『羊の門』・『良い羊飼い』 である」と(ヨハ10:7,9,11)。当時、羊たちは日中、野原に放たれ、夜は囲いの中に集められ、野獣から守るため羊飼いは出入り口となる門に身を横たえて寝たのです。主イエスがこの話しをなされた背景には、主の言葉と行いを通し、神の愛と癒しを信じ、新たな人生を歩もうとする人々の信仰<≠信心>を挫き滅ぼそうとする(例:9章)ファリサイ派を含めた律法主義者を見分ける知恵を授けるためでした。主は彼らを盗人・強盗と呼び、厳しく批判します。それとは対照的に主イエスは「良い羊飼い」として世に来られ「羊が“命(プシュケー)”を受けるため、しかも豊かに受けるため(10:10)」だと宣言しました。更に「良い羊飼いは、羊のために命を捨てる(10:11)」とその後、十字架の贖いと救いの予告もされたのです。
福音書には二通りの「命」が語られます。一つは「プシュケー:魂・息・心」と訳され、地上における“限りある命”を指します。もう一つは「ゾーエ」で、神の命・永遠の命を明確に示すギリシャ語です。今日の箇所で主は、ご自身が人間の罪を身代わりとなって担われ、地上における限りある命を捨てるのは、私たちに永遠の命を与えるためと語られます。人生で本当に大切なことを見分ける信仰と知恵を教えられた主イエスに聴き・従うこと“み言葉への聴従(ちょうじゅう)※”は救いと祝福の基です。(※榎本保郎牧師の説教参照)
カトリック教会内の宗教改革者アッシジの聖フランシスコの祈りとされる「平和の祈り」。その原詩最後に「与えることで人は受け取り、自己を手放す事で人は自分を取り戻し、赦すことで人は赦され、死によって人は永遠の命に復活するからです」とあります。正に地上の命(プシュケー)を分かち与え(捨て)ることで、得られる命(永遠のいのち・ゾーエ)を示された主イエスに聴従する力を頂く祈りの一つです。そして私たちも、それぞれの命(時間・賜物・財産・愛・喜び・平和…、信仰:つまり『スチュワードシッㇷ゚』)を自らの決断で与え<奉げ>る時、主にあってこの地上に神の国の国籍を持つ『一つの群れ』とされていくからです。
99匹を置いて迷い出た羊を探し出す良き羊飼いの譬え話。それは99匹が心を一つにして羊飼いを静かに囲いの中で待つ信頼から、羊飼いはその1匹を探しに行くことが出来たに違いありません。私たちの教会の羊飼いは主イエスさまです。主が今も私たちを導き、命を賭して守ってくださるお方であることを信頼し感謝する信仰を持つ群れであることを互いに喜び合いましょう。その平安と信頼の関係性の中から、主イエスが気にかけておられる「この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならい(10:16)」との熱き思いと同じ思いを抱いて、その方々を主と共に探し出し、この地上でも天でも「一つの群れ」とされる喜びを体験して参りましょう。
「受けるよりは与える方が幸いである」
(主イエスの言葉:使20:35)。